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情報誌「On!」

WEB ON!37号

スポーツを愛する人の街、大丸有

アクティブでエネルギッシュな人々が集う街、大丸有。様々なスポーツイベントが開催され、ショップや施設も充実したこの街では、たくさんのアスリートたちが、仕事をしながらスポーツを楽しんでいます。今号のON!では、大丸有に勤めるスポーツを愛する方々に、スポーツの楽しさやこの街の魅力について、語っていただきました。

得意種目を柱に戦略を組み立てる。
それがトライアスロンの醍醐味です。

三菱商事石油開発
技術本部付
前山 いくみさん

トライアスロンとの運命の出会い


私がスポーツを始めたのは社会人になってから。自分のペースで出来るランニングが趣味になり、東京マラソンやホノルルマラソンにも出場するほどのめり込んでいました。ところが3年前くらいに、ちょっと走ることだけには飽きちゃったかなって(笑)。何か新しいスポーツを始めたいなと思っているとき、丸の内朝大学*でトライアスロンに出会ったんです。それから、ランニングと並行して取り組むようになりました。トライアスロンの面白さは、3種目の中から得意な種目を柱にレース戦略を組み立てられること。私の場合はランニングをずっと続けていたので、ランが得意種目。スイムとバイクを乗り切って、いかにいい状態でランに繋ぐか──それが私のテーマであり、戦略の基本になっています。

海外のアイアンマンレースを完走!


最初はスイムが苦手でしたので、その克服には苦労しました。普段はプールで練習するのですが、波や風のある海で泳ぐのとはまったく勝手が違うんです。やっぱり自然を相手にするのは難しいと痛感しています。トライアスロンというと孤独なスポーツという印象を持たれる方も多いと思いますが、長い距離になるほどゴールの手前で仲間が待っていてくれたり、すれ違うときに声を掛け合ったりと、レース中にさまざまな触れ合いがあります。それもこの競技の楽しさ、面白さ、そして喜びだと感じています。今年の7月には、ドイツのフランクフルトで行われたアイアンマンレース「ヨーロピアンチャンピオンシップ」に出場し、無事に完走を果たすことができました。私のタイムは14時間ほどだったのですが、上位の欧米人は10時間半程度。欧米の選手の強さをあらためて知るとともに、貴重な体験になりました。これからももっと海外の大会に出場していきたいです。

変わらないものと新しいものが融合する街


この街の好きなところは皇居や東京駅などずっと昔から変わらないものと、一方で丸の内仲通や周辺のビル等、流行やその時代に沿って進化していくものが、うまく融合しているところです。まさにON!のコンセプト「Old but New」そのものですね。

*丸の内朝大学の詳細は以下のホームページまで
http://asadaigaku.jp

 

 

 

 

 

リオでは“世界の壁”を痛感するも、
1週間にわたる交流は大きな収穫です。

三井物産
ITC事業本部ITサービス事業部
マーケティング事業第二室
毛利 智史さん

 ー自然を相手にするヨットの醍醐味
きっかけをお聞かせいただけますか?


私は学生時代から「スナイプ級」という2人乗りヨットの競技に取り組んでいます。このスナイプ級は日本の学生・社会人の大会ではとてもポピュラーで、海外でも競技人口の多い艇種のひとつとなっています。
ヨットレースは30~60艇ほどで同時に行い、風上と風下にマークを打って設定される海上のコースの周回の速さを競います。レースの決め手は、スタート位置、ヨットのスピード、コース取りなどさまざまな要素があるのですが、海面上の風は変化が激しく経験がモノをいうスポーツです。
また、自然が相手のスポーツですので、時に運が明暗を左右することもあります。勝敗に絶対はなく、学生チームが世界のトップチームを打ち負かしてしまう──そんなことも有り得るのが、ヨットという競技の醍醐味。また、そんな競技だからこそ私も長く続けてしまうのかもしれません。
普段の練習は、江ノ島のヨットハーバーで行っています。ここは1964年の東京オリンピック開催に合わせてできた、日本で最も多くの競技者が集まる場所で、練習には最適です。

 ー培ってきた経験を後輩たちへ伝えたい


現在は三井物産ヨット部の主将を務めており、昨年、ヨット競技のスナイプ級で全日本選手権4位に入賞し、今年ブラジルのリオデジャネイロで開催された西半球大会に出場することができました。レース結果は37艇中30位。海外の有力選手を目の当たりにして“世界の壁”を感じたところもありますが、強豪がひしめく檜舞台で貴重な経験をすることができました。一緒に参加した日本の選手や、ブラジル、アルゼンチンをはじめとした海外トップ選手と1週間にわたって交流できたことも大きな収穫です。
昨年、母校の大学からヨット部の監督を依頼され、今は選手と並行して後輩たちの教育に取り組んでいるところです。私も現役ですので、共に活動するなかで何かを感じ取ってくれたらいいなと思っています。

 

 

競技としてもカルチャーとしても、
とても魅力的なスポーツだと思います。

ニッポン放送
エンターテインメント開発局
エンターテインメント開発部
後藤 隆志さん

フレスコボールの爽快な打感に感激!


フレスコボールは1945年にリオデジャネイロのコパカバーナビーチで考案されたラケットスポーツで、ブラジルではあちこちのビーチで多くの人に親しまれています。カンヌ映画祭でハリウッドのセレブたちが楽しんでいる姿も見られたくらいですので、欧米ではメジャーなスポーツとなっているようです。
私のフレスコボールとの出会いは、仕事でブラジルへ赴任していた友人がきっかけでした。彼はフレスコボールを「新しい文化として日本に紹介しよう」と考え、ラケットとボールを大量に持ち帰ったんです。実際にやってみると、ボールの打感が爽快で最高に気持ちよかった!
そこで、当時海の家も一緒に運営していたその友人と、私と仲間の3人で2013年に一般社団法人フレスコボール協会を立ち上げ、日本へ普及させるための取り組みを始めました。わずか3名で発足したこの協会も現在では会員数が1000人を数えるほどになり、国内の大会にも40組ほどがエントリーする規模に育っています。

進むべき方向を模索している最中


2015年3月にはメキシコで初のワールドカップが開催され、日本からは2チームが参加。アジア圏からは唯一のエントリーでした。結果、私のチームは23組中16位、学生のチームは18位と、なんとか最下位は免れることができました(笑)。
このワールドカップで感じたのは、日本で競技として確立するにはルールの整備が必要ということです。たとえば打ち合うボールのスピードも採点項目なのですが、厳密に採点するならばスピードガンなどの導入が求められるでしょう。7mという2人の距離間もラリー中に2〜3mまで接近することもあり「7mより近づいていいのは何回まで」という規定が必要になるかもしれません。
とはいえ、ブラジルでは「そんなのどうでもいいじゃん!」と大らかに楽しむ人ばかり。競技ではなく、助け合いの精神を学ぶカルチャーとして日本にも広がっていってくれればいいな思っています。空き地とラケットとボールさえあれば、誰でも気軽に楽しめるスポーツですからね。

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