占領、高度成長時代に向けた大丸有地区の基盤整備(戦後~昭和30年代)

II占領下のホテル

占領下でホテルとして使用された大丸有地区のビル

占領下でホテルとして使用された大丸有地区のビル
Map上の16の数字は、下に表示されている各番号の場所を示しています。
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1丸の内パークビル/三菱一号館

八重洲ビルヂング(「八重洲ホテル」)

八重洲ビルヂングは1946年4月に接収され、「八重洲ホテル」と改称され1956年2月の解除まで米空軍宿舎として使用される。なお、地下金庫室と1階営業室は接収除外され、アメリカ銀行に賃貸された。

2パレスホテル

帝室林野局(ホテルテート)

1937年12月に完成した帝室林野局(ていしつりんやきょく)の庁舎は、連合軍最高司令部の命令で国有国営のバイヤー専用ホテル「ホテルテート」として改築された。その後、1959年に土地建物が払い下げられ、パレスホテルへ建て替えられることになる。

3東京海上日動ビル

東京海上新旧館(オールド海上ホテル)

1945年9月に、新館、旧館ともに接収される。旧館は「海上ホテル(Old Kaijo Hotel)」と称され女子下士官宿舎に、新館は極東空軍司令部(Far East Air Forces)本部として使用される。旧館は1956年1月、新館は同年7月に接収が解除される。

東京海上ビル
4新日石ビル

有楽館(有楽ホテル)

日本石油の本社が入居していた有楽館は1945年10月に接収され、「有楽ホテル」と改称され米軍将校宿舎として1956年1月まで使用された。

5富士ビル

仲7号館(「仲ホテル」)

1946年3月に接収され、「仲ホテル」と改称され女子将校・軍属宿舎として使用された。1948年12月に通産省所管外国商社事務所として賃貸することを条件に解除され、1952年まで外国商社専用に使われていた。

管理事務所と所員の集合写真
6東京會舘

東京會舘(アメリカンクラブオブトーキョー)

1945年12月に接収され、GHQ本部に近いこともあってもともとあったメイン・バーは米軍将校専用のBARとなった。このBARを利用した米軍将校を通じて、そこで働く日本人バーテンダーはそれまであまり知らなかった新しいカクテルを次々と覚えていったといい、このメイン・バーからは日本を代表するバーテンダーを輩出することになる。

取材協力:千代田区立日比谷図書館