東京ビルディング
1950年に着工し、1951年に南半分が竣工。丸の内オフィス街の一元開発と戦後の企業分割で少なくなった賃貸物件を確保するために建てる。竣工パンフレットによると、国内の電力事情が回復せず、工事現場に電気の庫内「休電日」なども勘案しながらの工事で、就労者数は延べ約18万人に達したという。1955年に北側増築工事が竣工。2003年に東京ビルヂングを取り壊し、2005年に現在の東京ビルディングが竣工。
永楽ビルヂング
工事中の東京ビルヂングに引き続いて、モータープールになっていた旧造船会館の跡地(日本工業倶楽部北側)に1950年に地上8階、地下2階、延床面積約7、541坪、工事予算5億5,037万円で着手。1952年1月竣工。朝日信託銀行(三菱信託銀行)や第一物産(旧三井物産系新会社中の最大手)が入居。
日活国際会館
1952年3月に竣工。画期的な潜函工法(地上で組んだ鉄骨を地下に沈ませる工法)と、戦後初の大規模な建築でパステルカラーのタイルと白ペンキのスチールサッシュが話題を呼び、戦後の名所になった。敗戦後の日本の建築界に希望を与えた建物といわれ、6階から9階にはマリリン・モンローが宿泊したことでも有名な「日活ホテル」があった。日活国際会館は後に日比谷パークビルと名前を変えその後解体され、2007年5月にザ・ペニンシュラ東京が竣工する。
新丸の内ビルヂング
東京館という名称で1934年に着工されたが、日中戦争の影響で工事を中止。第二次世界大戦中は完成していた基礎部分は防火用貯水池として、戦後すぐは復興用資材の貯木場として使われていた。新丸ビルは東京ビル、永楽ビルの工事と並行して行われ、1951年に着工し、1952年11月に竣工。戦後復興の象徴的な建物といえる。
地上8階、地下2階で、地下にはテナントが会議や催時に使うことができる「丸ノ内ホール」が設けられ、丸ビル同様低層部はショッピングモールとして一般に開放した。1998年から始まった、いわゆる丸の内マンハッタン計画により2007年4月に新丸ノ内ビルヂングが竣工。
産経会館
1955年竣工したこのビルに、日本初のカルチャーセンターとして「東京婦人会館」(後の産経学園)が誕生する。これは戦前、日本で最初の「婦人のための教養クラブ」として活躍していた「東京婦人会館」を、戦後の新しい時代の要求に応える形にしてリメイクして同名で開設したもの。産経会館はその後建て替えられ、2002年に東京サンケイビルが誕生する。
大手町ビル
神武景気の好況を背景にオフィス需要が一段と高まってきた1956年に着工して1958年4月竣工。約3,000坪の土地に、地下3階、地上9階、延床面積は3万3,660坪、東京ドームになる前の後楽園球場2つがすっぽり収まる軍艦のような巨大ビルが完成した。東西に200mと細長い形状をとっているのが特徴で、中庭から採光する方式はロスが多いため、エレベーターなどを建物の中央部に集めるアメリカ式のコアシステムを採用している。また、日本で初めて全館冷房を採用したビルでもある。
新大手町ビル
1958年12月に第一期工事を完了し、翌1959年2月に第二期工事も完了。地上 10階・地下 3階で延床面積26,857.46坪。大手町ビルは当初、「第三丸ノ内ビル」と命名する案もあり、これが「大手町ビル」に決定するまでは、「新大手町ビル」が「大手町ビル」と呼ばれていた。新大手町ビルの第二期工事が終わった1959年には、近代ビジネスセンターへの再整備である「丸の内総合改造計画」(赤煉瓦地帯建物改築計画)を三菱地所が決定。建物の高さを31mに揃え、景観を整えた街づくりがスタートする。