占領、高度成長時代に向けた大丸有地区の基盤整備(戦後~昭和30年代)

III終戦直後の改修

戦後直後の応急的なオフィスビル供給の実態

戦後直後の応急的なオフィスビル供給の実態
Map上の14の数字は、下に表示されている各番号の場所を示しています。
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1新東京ビル

仲6号館

1946年5月に着工し、煉瓦造3階建て2棟の焼残り改修工事を行う。総延面積は約1,045坪で、建築費予算は440万円。1946年7月に竣工後、日新火災海上、東京海上火災、三菱製鋼、三菱重工業などが使用した。

新東京ビル 新東京ビル
2東京ビル

国際電気通信館

強制疎開跡の敷地約1,198坪に、総延面積約1,332坪の木造2階建て建物を建設。建設費の当初予算は380万円で、後に826万円にまで膨れあがった。1946年5月に着工して同年9月に竣工し「三菱新館」と名づけられ、三菱鉱業が使用した。

3三菱UFJ信託銀行本店ビル

造船会館(モータープールに)

焼失地約1,128坪に、建設費319万円で総延面積約997坪の木造2階建ての建設計画を立てるが、1946年6月に更地のまま接収され占領軍のモータープールとなる。

4富士ビル

仲5号館6、7号

仲6号館跡地同様、焼け残りの鉄骨コンクリートをそのまま利用し、3階建ての建物を改修する。床は木造、屋根はスレート葺き、予算は187万円で総延面積約235坪。

仲7号館別館

取材協力:千代田区立日比谷図書館