占領、高度成長時代に向けた大丸有地区の基盤整備(戦後~昭和30年代)

V高度成長時代へのインフラ整備

昭和30年代後半の大丸有地区の街づくり

昭和30年代後半の大丸有地区の街づくり
Map上の15の数字は、下に表示されている各番号の場所を示しています。
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1行幸通り地下

丸の内駐車場

来るべき本格的モータリゼーション時代に向け、当時は駐車場の整備に関わる法令等もまだ未整備であった。しかし、東京ビル、永楽ビル、新丸ビルなどの相次ぐ竣工と日本経済の好況が重なって、丸の内における自動車交通の輻輳はその極限に達しており、ビジネス街にあふれる車を収容する施設が必要だった。このため1960年に行幸通りを掘り起こして地下2階520台収容の「丸の内駐車場」(都市計画駐車場)が設けられた。時代は高度成長期、東京オリンピックを4年後に控え、丸の内も近代的なビル街への建て替えが盛んに行われ、人も車も増えていく一方であった。

工事中の丸の内駐車場
2富士ビル

富士製鐵ビル

馬場先通りに面していた仲7号館と仲5号館の敷地をまとめて建てられた大きなビル。早くから、八幡製鐵と合併する前の富士製鐵が入居することが決まっており、外装も入居テナントに相応しくステンレススチールを用いたので、陽光を反射して外観が七色に変化すると話題になった。1962年3月に竣工し、地上 10階・地下 4階。「丸の内総合改造計画」により、仲通りの幅をそれまでの13mから21mに拡張したが、この改造計画後すぐに建てられたビル。竣工10年後には、富士製鐵が合併し退居したためビル名も変更になった。

富士製鐵ビルディング
3日本ビル

第3大手町ビルヂング

東京オリンピックを控え、常盤橋地区の計画が進展。地下2階、地上9階建ての白い花崗岩とステンレススチール、そして白タイル貼りという外層のビルで、1962年7月に竣工。1965年11月に増築した地上14階、地下4階の巨大なオフィスビルとなり、建設当初の第三大手町ビルヂングは日本ビルヂングとなる。現在、隣接する「朝日生命大手町ビル」と一体的な再開発が計画されている。

日本ビルディング
4丸の内仲通りビル

三菱電気ビルヂング

仲13号館と仲15号館を併せて1963年1月に竣工。延床面積は1万3,403坪、入居テナントの社名を冠して「三菱電機ビルヂング」と命名された。1971年3月増築。その後、丸の内仲通りビルと名称を変える。

5新東京ビル

新東京ビルヂング

東7号館、仲6号館1~5号、仲8号館、第21号館などを整地して新東京ビルに建て替えられた。1963年6月竣工の第一期分の延床面積は2万978坪で、1965年4月に第二期工事が完成して全館竣工。地上 9階・地下 4階で延床面積は3坪を超え、大手町ビルと並び東洋でも有数の規模のビルが誕生した。

新東京ビルディング

取材協力:千代田区立日比谷図書館